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 山吹の歴史

 明治10年西南の役により、北九州に日本中から戦争の為の物資や荷役する軍夫が集まり出したのです。当時若松市の流行語に「西郷隆盛は恵比寿様よ、金の雨を撒き散らす」とはやされています。西南の役以来、北九州は軍事基地としての役割を背負って大きくクローズアップされていきました。日清・日露の戦争を経過しその後に続く国の方針であった大陸進出交易の玄関口として、また筑豊炭田を後背地に控えた重工業地帯の発達など、急速に都市化して膨らみ発展を続ける旧門司市仲町に「山吹蒲鉾店」の暖簾がありました。しかし、古い資料は現在殆ど散逸して残存していません。


 京都に商売の神様として有名な伏見稲荷神社があり、全山が神域として日本各地の崇敬者より寄進された石造物が無数にあります。これら石造物の中に「大阪新町・山吹蒲鉾店」の銘が彫ってある苔むした台石が中腹の社の側にあります。この台石は明治中頃から末にかけての物と考えられます。


 大正時代の当主、西村金蔵氏が現在の山吹蒲鉾の味と形の基本を確立しました。時代と共にお客様の嗜好・ニーズ・原料事情の変化といった外的要因や変遷のなかにも、頑固に継承された超ロングライフの製品があります。今後も時代の変化に対応しながら、地元北九州市の人々に親しまれ愛用されてゆく「山吹蒲鉾」を造り続けるよう努力いたします。

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